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NUT癌との闘病ストーリー

2019年6月11日、スカイが中学校を卒業してから数日後、家族で卒業祝いの夕食会に行きました。彼女は数ヶ月前から背中の痛みを訴えていましたが、ちょうど成長期ということもありただの成長痛だと思っていました。しかし夕食を終えた後、強い痛みを訴えた為スカイを夜間救急に連れて行くことにしました。この時も痛みは成長中からくる自然なものでしょう、と医者に言われると思っていました。。。しかしレントゲンには肺に懸念される異常物が写り、翌朝にはロサンゼルスの子供病院に移されました。いくつかの検査の結果、それが癌であると宣告を受け、その後、略称FISH(染色体ハイブリダイゼーション法)検査後、その癌がNUT癌腫であると診断されました。

NUT癌患者は、癌を発見した時点で既に癌が転移しているケースが多く、スカイも同様、この時点で既に癌が肺から脊髄に転移していました。それがスカイの背中の痛みの原因だったのです。

治療

7月1日、第1クールの抗がん剤治療が始まり、スカイは計6クールの抗がん剤治療を行いました。当初の予定では3クールの治療を行った後、癌のある右肺を切除する手術を行う予定でした。 2クール目までは癌が小さくなっていき効き目があったのですが、NUT癌は進行性の早い癌腫ということもあり、その後の抗がん剤治療や放射線治療はほとんど効き目がなく、右肺摘出手術を行うことができませんでした。

治療が始まってすぐ髪の毛が抜け落ち始めた頃、スカイは闘病への決意を固め、髪の毛を剃りました。治療の間は外来治療、いわゆる入院することなく治療を受ける形を取る予定でしたが、高熱を出し始めた為ロサンゼルス小児病院み入院となり、合計15回の放射線治療を受けました。  その間スカイは感染症に苦しみ隔離されることになり、彼女の体は著しく弱っていきました。しかしこの入院生活が#スカイストロングのブレスレットを作り始めるきっかけとなったのです。

再度スキャンを行った際、高熱の原因は新たにできている腫瘍であると判明。放射線治療がいくつかの癌の進行を遅らせてはいたものの、スカイに施せる効果のある治療法がないと医者からの宣告を受けました。

残されたオプションは一つでした。ダナ・ファーバー・癌研究所での治験です。その治験を受けた子供はスカイで3人目でした。 友達や見知らぬ人からの支援と寄付のおかげで、スカイはボストンに無事に着くことができ治験に参加することができました。その治療でスカイは体力を取り戻し、何度も延期になっていたニューヨークへの旅行にも行くことができました。その旅行はメイク・ア・ウィッシュという難病で戦う子供達の夢を叶えてくれるプログラムを通して実現した旅行でした。  しかし旅行中にスカイは耐えられないほどの痛みを訴え、旅行から戻ってすぐにスキャンを撮ることになりました。その結果、治験の薬が癌に効いていないことが分かり、1月2日、自宅のあるロサンジェルスに戻ることとなりました。

2週間ほど自然治療や東洋治療を試していましたが、スカイは日に日に弱っていき痛みは増す一方だったので、自宅で24時間体制のホスピスケア―を受け始めました。賛美と祈りに包まれる日々が数週間続き、 1月31日22時30分頃、日本から来ていた両親と家族で祈った後、 スカイは安らかに天国に旅立っていきました。

スカイの信仰

NUT癌との闘病生活は予期せぬことばかりの山あり谷ありの連続でしたが、その中で一つ一定していたのは、スカイのゆるぎない神様への信仰でした。スカイとスカイの家族は、新しい治療が始まる前や、日常の治療生活の中で、いつも一緒に賛美を歌っていました。スカイが、#スカイストロングの精神を維持できたのは、スカイの信仰があったからなのです。 

スカイが毎日繰り返していた御言葉です。

ピリピ人への手紙 4:13

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 」

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